STORY 02
戦後の復興と事業基盤の確立

STORY 02
戦後の復興と
事業基盤の確立

「金庫のクマヒラ」としての躍進

戦後の再出発を機に、金庫で培ったノウハウをさらに発展させたクマヒラ。
販売会社の設立で販路を拡大し、新充填材の開発など技術面でも生産力を向上させた。

EPISODE 01生産活動を再開、
金庫製造に着手

原爆で建物に大きな被害を受けたものの、熊平製作所は昭和20年から一部操業可能となった。残っていた鉄板で製作した家庭用品はとても重たかったが、家屋と所帯道具を失った家庭が多かった広島ではよく売れた。そうした中でも金庫の生産再開に向けた準備は進み、昭和21年鋼製保管庫や金庫の製作を開始した。終戦後は再生品が多く出回り、源蔵のところにも「再生金庫の製造」の話が持ち込まれたが、「一度火をくぐった金庫は、世に無用どころか有害である」と即座に断った。人々の大切なものを守るという創業当時の信念は、源蔵の中で決して揺らぐことはなかった。

EPISODE 02熊平製作所としての
初の金庫製造

熊平製作所として初の金庫製造に携わった設計者によると、源蔵の自宅にあった金庫から図面を起こして設計を行ったものの、材料難で苦心した。金庫を製造するという理由ではなかなか鋼材が割り当てられず、当時消防ポンプも製造していたことで何とか割り当てをもらえた。金庫の耐火充填物として何を使用するかという課題については、七輪の材料になるイソライトと珪藻土を混ぜた材料を使うことで性能を担保し「57号金庫」を3台製造した。これが熊平製作所で製造した初めての金庫である。

EPISODE 03某大手金融機関の金庫扉受注

昭和24年、某大手金融機関からクマヒラ初となる金庫扉を受注した。本格的な金庫扉メーカー「クマヒラ」のスタートである。
熊平製作所の将来を掛けた大仕事であり、設計から完成までおよそ半年の時間を費やした。これを皮切りに熊平製作所は多数の金融機関へ金庫扉を納入するようになる。

EPISODE 04東京熊平金庫店の設立

昭和24年、本格的な金庫・金庫扉メーカーとしての基盤を着実なものにするためには、主要な金融機関が集中する東京に販売所を置くことが必要不可欠だと考え、官庁街に近い場所に「株式会社東京熊平金庫店」を設立した。ビルの一室に構えた事務所だけでは身動きが取れなくなり、翌25年に現在の株式会社クマヒラのある日本橋に移転した。

EPISODE 05クマヒラ初の貸金庫

昭和26年、東京熊平金庫店の近くにある某金融機関の新築工事が始まった。かねてより金庫扉の納入実績もあり、貸金庫の受注にも成功した。金庫扉と貸金庫の納品工事は熊平製作所創業以来の大工事となり、完了したのは受注から2年後の昭和28年であった。

EPISODE 06金庫の革命・新充填材の開発

昭和26年12月、広島鉄道管理局が全焼する火災に遭い、その焼け跡を調査した際、納入されていたアメリカ製の金庫の耐火性能の高さを見て、日本の耐火金庫はまだまだ研究の余地があると痛感した。
熊平製作所の技術陣は、そのアメリカ製金庫を譲り受け研究を始め、研究・開発の末、ドロ状になったセメントの混合物に発泡剤を入れて注入する独自の固形充填物を完成させた。

EPISODE 07日本初の丸型金庫扉・
大型金庫工事時代の幕開け
日本一の丸型金庫扉

昭和29年、某金融機関から「10インチ丸型金庫扉」を受注した。熊平製作所が戦後を通じて初めて製造した丸型扉金庫で、製造に8か月をかけ取り付けを完了させた。同年3月には金庫扉専用工場が完成。総面積は230坪、棟高10m余り、梁に走行5tクレーンを装備した本格工場である。この専用工場の完成で金庫扉の生産能力は大幅に向上し、大型金庫工事時代の幕開けに応ずる生産体制を整えた。

EPISODE 08強力金庫の誕生・
クマヒラアロイの開発
クマヒラアロイ入り金庫扉と
超強力金庫

昭和37年、防盗性能と耐火性能を飛躍的に向上させた「強力金庫( ストロングセイフ)」を開発した。この金庫は日本で初めて報道・官庁 ・金融機関関係者を招いて防盗・耐火テストを公開し、金庫作り30年というベテランを揃えても破られなかった金庫である。耐火時間は2時間、当時最強の金庫であった。また、昭和39年には画期的な防御材「クマヒラアロイT-20」を使用した「金庫扉E18000型」を開発し、好評を得た。

EPISODE 09国際競争市場への参入
アメリカで好評を得た金庫扉

昭和32年、戦後初めて韓国向けに重量金庫扉を輸出し、同年にはアメリカのセキュリティ社と技術提携ならびに業務提携を行い、BX型貸金庫を製造、輸出を開始した。セキュリティ社から、アメリカ・ミズーリ州の代理店に送られたクマヒラの金庫扉が衝撃を与えたという話もある。金庫扉を送られた代理店の社長は「クマヒラの製品は素晴らしい。完全メンテナンスフリーの金庫扉はまさに芸術品」という言葉を残している。クマヒラのコンセプトが、金庫扉先進国アメリカの金庫扉に対する概念を変えさせたのは確かである。

金庫メーカーとしての使命

こうして「金庫のトップメーカー」としての立場を不動のものにしたクマヒラ。
しかしこれに満足することなく、時代と共に変わる「お客様の大切な価値」を守るため、クマヒラは更なる進化を遂げます。

クマヒラグループの歴史は
ここから始まりました

STORY 01創業から終戦まで

近年の出来事と製品開発をあわせてご紹介

STORY 03市場拡大と
トータルセキュリティ
企業への道